會社概要
Corporate Profile
名稱 | JFE(ジェイ エフ イー)スチール株式會社 [ 英文名稱:JFE Steel Corporation ] |
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事業內容 | 鉄鋼事業( 薄板、厚板、形鋼、鋼管、ステンレス、電磁鋼板、棒線、鉄粉などの鉄鋼製品の生産?販売) |
本社所在地 | 〒100-0011 東京都千代田區內幸町2-2-3 |
設立 | 2003年4月1日 |
資本金 | 2,396億円 |
事業所 | 本社 / 東京 |
支社?支店所在地 / 札幌、仙臺、名古屋、大阪、福岡など | |
海外事務所 / ニューヨーク、ロンドン、北京、バンコック、ニューデリーなど | |
製造拠點 / 仙臺製造所、東日本製鉄所(千葉?京浜)、知多製造所、西日本製鉄所(倉敷?福山) | |
研究開発拠點 / 仙臺、千葉、京浜、知多、倉敷、福山 ※各事業所の地図はコーポレートサイトをご覧ください |
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代表者 | 代表取締役社長(CEO) 北野 嘉久 |
主要拠點
Production Base

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千葉地區
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京浜地區
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知多製造所
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倉敷地區
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福山地區
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東日本製鉄所 千葉地區
所在地:千葉市中央區 総面積:約766萬平方メートル
東京から電車で40分。京葉工業地帯の真ん中に位置する都市型製鉄所です。1951年に、戦後初の銑鋼一貫の臨海製鉄所として建設されました。成形性に優れた自動車向け鋼板やステンレス鋼板などを主力製品として製造しています。千葉地區の冷間圧延機は、最高圧延速度が毎分2,800メートル、仕上げ板厚平均0.24ミリメートルという世界最高水準の性能を誇ります。また、スラブを圧延機で延ばし、さまざまなサイズの鋼板に仕上げることができる「エンドレス圧延プロセス」を世界で初めて実現させたのも、ここ千葉地區。高級薄鋼板製造を得意とする、國際競爭力のある製鉄所です。
ステンレス鋼板
JFEスチールの誕生と企業DNA
History
JFEスチールは2003年4月、當時國內粗鋼生産量2位の舊NKK(日本鋼管)と3位の舊川崎製鉄の統合によって誕生しました。ここでは、統合までの歴史をご紹介します。
『紳士的な次男坊』と『野武士的な風雲児』
舊NKKは1912年(明治45年)設立、民営初の高爐メーカーとして近代日本の経済発展を支えながら、厳しい戦時統制の時代も常に自主獨立を貫く、高い志を持った企業でした。
一方、舊川崎製鉄は1878年(明治11年)、川崎正蔵が東京築地に川崎築地造船所を創業したことに始まり、後の川崎重工の製鉄部門として発展。第二次大戦後の1950年に獨立し、自由闊達で大膽な成長戦略によって、戦後日本の復興?成長を支えた鉄鋼メーカーでした。
産業界では當時、舊NKKは「紳士的な次男坊」、舊川崎製鉄は「野武士的な風雲児」という言葉で両社を表現していました。しかし、この一見異なる風土の根底には、共に民営企業として自由を尊び、挑戦心にあふれる企業であるという共通點もあったのです。

1940年當時の舊NKK工場全景
統合は『新會社のために』
急速なグローバル化が進む1990年代。鉄鋼業界だけでなく、自動車など鉄鋼ユーザーの業界でも世界規模で合併?再編が行われました。この世界経済が大きく変動する中で、あらゆる顧客ニーズに応える製品?サービスを提供し、事業を発展させていくため2社は統合の道を選択しました。
企業が統合されるとき、問題となるのは異なる文化?風土の衝突です。統合後も企業としての生産能力を維持するため、またお互いの面子を立てるため、統合前の體制や風土を継続させるケースが少なくありません。しかし、JFEスチールはこうした道をとりませんでした。すべては「新會社にとってベストなものを採用する」ことを判斷基準に進めていきました。たとえば、合理化のため2基の高爐を廃止する際も、舊NKK?舊川崎製鉄から1基ずつではなく、収益を最優先に考え、舊川崎製鉄の2基を廃爐にしました。人事も、統合後によく見られる「たすきがけ人事」ではなく、お互いの製鉄所の部長クラスを総入れ替えするという交流人事を行い、積極的に舊2社の融合を図りました。

1951年 舊川崎製鉄の千葉製鉄所第1高爐
受け継がれるDNA
Technical capabilities to lead the world
新會社「JFE スチール」の行動規範は「挑戦?柔軟?誠実」ここには、舊NKK、舊川崎製鉄の両社に共通していた特色、「獨立心に富んだ自由な精神で、果敢に未來を切り拓いていく」という精神がDNAとして受け継がれ、息づいています。
グローバル市場で確固たる地位を築いていくために、JFEスチールは持ち前の自由闊達で柔軟な行動力と、社會から広く信頼される誠実さで、新たな挑戦を続けていきます。
